オーナーのひとり言
2000年11月

BACK TOP NEXT

No.6
2000/11/01 【沖縄移住計画】
11月が来た!俺は基本的に11月から3月迄は嫌いだ。何でかっつ〜と、寒いから!まっ、それぞれ人には得意不得意があるとは思うが、俺は夏は大得意だ。暑くてもぜんぜん平気、逆に冷房がダメ!でも以前は違ったんだよねぇ、それはスキーをやっていたからなんだけど、ここ5年位やっていない。自分で言うのもなんだけど俺はスキーの腕前はかなり上手いと思う。なんてったって小学生からやってるからね!でも、もういいかなやらなくても、だって寒いもん!板とかウェアとかも年代もんだから買い換えなきゃいけないし・・・。
でっ、話を戻してなんで沖縄移住計画かというと、それ位寒いのは嫌いだってこと、9月に初めて沖縄に行って来たが、やっぱいいねぇ!沖縄は。
そんで移住計画を確実に遂行する為に沖縄の理美容室の状況などをそれなりに調査して来た。結果はダメダメ!ぜんぜんダメ!カット料金が安すぎる!800円とか1,000円とかばっかりだ。これじゃ生活が出来ない!全ての財産を処分しても今残っている借金を返すのが精一杯だから、向こうで仕事をするしかないんだけど、俺には別の仕事は今更出来ない。という事で移住はまだまだ先、お金が貯まってからだね!
でも狙ってみっかぁ、ロト6!!ねっ、わかつ君!

No.7
2000/11/03 【サッカー人生】
俺のサッカー人生は小学5年生の時に突然始まった。
当時サッカーはマイナー(日本では)なスポーツであり、やっている子供たちはほとんど居なかった。それを証明するかのように、その当時相双地区の小学校(約50校)でサッカーチームのある学校は俺の通っていた学校だけであった。
本当は野球をやりたかった俺を(むりやり)サッカーに導いたのは父親だった。
「お前は野球ではレギュラーにはなれるだろうが、中心選手にはなれないぞ!」
「サッカーだったら走るのも速いし、人口も少ないからヒーローになれる」
その言葉通り小、中、高校で俺はチームの中心選手だった。小、中学校ではキャプテンとしても活躍し、まさに俺が一番輝いていた時代であった。がっ、今は違う!体のキレ、スピード、体力、全てが無いに等しい、それ故に周りを見る余裕もない。全然ダメだ、チームのお荷物になりかけている。妻からは引退勧告をされてしまった。こんなんじゃもうトルシエには呼ばれないであろう。
しかし、俺は出来るだけ長くサッカーをやっていたいのである。今辞めたらもう復帰は絶望的だ!やるしかないのだ!
でも楽しくやろうねっ!みんな!!

No.8
2000/11/05 【我師の恩】
俺にはどうしても忘れられない先生がいる。担任を受け持ってもらったことはないのだが、俺の人生において一番の恩師であろう。中学生の時、サッカー部の顧問をして頂いた先生である。
当時キャプテンをしていた俺は、言う事を聞かない後輩に対し度々制裁を与えていた。ある日、不可抗力ではあったが、その制裁により大怪我を負わせてしまったのだ。その後輩は入院をし、失明の危険にさらされていた。
人一倍責任感の強い俺は悩み、苦しみ、反省をした。親にも言えず、言いようの無い恐怖と戦っていた。当然だが、親にはその日の内に先生から連絡が入った。俺の苦しみを察してか、親からは叱られること無く、逆に「辛かっただろう、お前(苦しんだ)が可愛そうだ」と励まされた。これが親バカなのだろう、親になった今考えると、当時ウチの親も相当苦しかったに違いない。
次の日、サッカー部員全員が集められ事情を聞かれた。俺は「殴られるかも知れない」と覚悟をしていた。先生は一人一人話を聞いていったが、結局俺には何も聞かなかった。とっその時、先生は俺じゃなく後輩達に説教をはじめたではないか、俺はただうつむいているしかなかった。
最後に先生はその日始めて俺に声をかけた。
「何も心配するな!」と、一言だけ・・・。
とても優しい言葉だった。俺は涙が止まらず、「すみません・・・」としか言えなかった。確かにその当時の後輩達の言動は目に余るものがあった、がっこれは、いくら不可抗力とはいえ暴力事件として取り扱われてもいたしかたない事件だ!結局先生は俺の責任は不問にした。
それから先生は被害者との仲介役を一生懸命して下さり、後輩の怪我は幸い大事には至らず、無事退院した。
本当にお世話になった先生だが、その時のお礼を言えないまま俺は卒業してしまった。俺はその事をずっと気にしていたが、いつしか「自分の結婚式には先生を招待して改めて御礼を言おう」と誓っていた。
しかし、それも結局叶わなかった。先生は40代前半にしてご病気で亡くなられたのだった。俺は結婚式に恩師は誰も招待しなかった。
「伊東先生!私も結婚をし、二人の子供にも恵まれ、幸せな生活を送っております。その節は大変お世話になりました。本当にありがとうございました」
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

No.9
2000/11/10 【4億円】
日本宝くじ史上最高額の当選額、それが4億円だ!
どうやら当たったヤツがいたようだ。今回ロト6では、2回連続キャリーオーバーとなっていた為、「初めて買った」という人が沢山いたようだった。俺も例外にもれずその1人なのだが、残念な結果となってしまった。
俺の買い方はこうだ!まず、1〜43までの数字を書いた紙を作る。次に1〜7までの数字を書いて同様に作る。何故7かというと6/43は四捨五入すると7だからなのだが、それは置いといて、作った紙で抽選をする。最初に1〜7から1枚、次に1〜43から1枚引く、例えばそれが3と20だったら、3口目の20番にマークを入れる。1〜7から引いた紙は戻し、1〜43の方は戻さない。そうすると、1〜43までの数字の中から42個までを使って、7通りの予想が出来上がる。
これを2回やり14通りにりする、それぞれ抽選からもれた数字がある(2つ)ので、それと自分に縁のある数字を組み合わせて1つ作って、合計15通り!3千円だ。俺は当たると信じて疑ってはいなかった。がっ、4億円の夢は消えた。せめてもの救いは、千円が2つ当たっていた事だった。
さらば4億円!

No.10
2000/11/14 【なめたらいかん!】
先日、友人のGからTELがあった。
「バドミントンやんねが?」
まっ、どうってことないんだが、このGという男からは想像つかない発言であった!
Gは同い年なのだが、どう見ても俺よりも10歳は年上に見えるし、体型もだいぶ控えめに言ってぽっちゃりといった感じだ。運動という世界には無縁の男なのだ!
しかも、モノホンの方達も避けるほどの強面だ。
Gとは幼稚園から高校までずっと同じでもう30年以上の付き合いになる。
昔は体型の割にはスポーツマンだったが、ここ20年位は運動という行為は彼にとって最も避けていたことの1つであろう。
「どうしたんだ?正気か?」
俺はびっくりして一瞬言葉を失ったが、快諾した。正直言ってバドミントンというスポーツは俺にとって朝飯前の《お遊び》のはずだった・・・。
余裕をこいてシャトルを打ち合い、1時間が過ぎようとした頃、試合をすることになった。俺には自信があった『負けるはずはない!俺にとってはお遊びなのだから』
得点ルールがわからなかったので、ラリーポイントの11点勝負とした。がっ、予想に反してGはデ○のくせに軽快なフットワークを見せるではないか、そして4回目のデュースの末敗戦・・・。
Gは最近だけで3回目のバドミントンではあったが、それを差し引いてもアドバンテージは俺にあったはずだ。なんてったってサッカーをやってるんだから!
《朝飯前のお遊び》のつもりでやったバドミントンであったが、試合には敗れしかも、次の日からは強烈な筋肉痛との戦いが待っていたのであった。

No.11
2000/11/17 【3億円】
昨日はロト6の抽選日だった。俺は前回同様の方法で数字を決めた(今回は8通り)。「手が空いたら買いに行こう」と思っていたが、全然客が途切れない、俺は焦っていた!18:00までに買いに行かなければ・・・。
しかし結局行けなかった。「ど〜すんだぁ!当たってたら!」
俺は恐る恐る今日の新聞を開き、確認してみた。よかった!何1つかすってもいない。神様はまだ俺を見捨ててはいないようだ!もし選んだ数字が当たっていたら、俺は暴れまくり、犯罪者となっていただろう。「神よ、ありがとう!」

No.12
2000/11/19 【ミラクル】
「全敗先輩」いつしか俺はこう呼ばれるようになった。それは後輩4人とビリヤードに行き、全員に負けたのが始まりだった。その後もボーリングでも全敗、しかし、
とうとうその汚名を返上する時が来た!
友人Aと飲みに行った時、行った先で友人Bに会った。この2人、無類のギャンブル好きだ!なんでも賭けの対象にしてしまう。
いやぁ〜な予感が的中して、ビリヤード勝負になった。前回後輩達とやった時は、実力的には俺が勝つはずだったが全敗してしまった。がっ、今回は違う、2人とも数々の修羅場を潜って来たギャンブラーである。実力も俺よりも上なのは明らかであった。案の定、1ゲーム目をB、2ゲーム目をAが取った。賭けは1ゲーム千円なので、この時点で2千円の負けだ。残り時間からしてあと2,3ゲームであろう。
次のゲームで勝たないと俺の負けは確定である。もはや俺にはミラクルを期待する以外なかった!
運命の3ゲーム目、《ミラクル》が起きた!全然関係の無いボールを狙ったはずだったが、9番ボールがポケットへと吸い込まれて行った。しかもこれで終わりではなかった。続く4ゲーム目も同じような展開で勝利、これは《超ミラクル》だ!
これで俺の勝ちは確定である。非常に有意義な時間であったが、こんな所で運を使ってしまって、「ロト6は大丈夫?」

No.13
2000/11/21 【風邪?】
なんか少し風邪気味である。俺は年に1度位風邪をひかないと心配になる事がある。今年もこれで安心だ!「俺はバカじゃなかったんだ!!」・・・。

No.14
2000/11/22 【やっぱりバカ?】
風邪気味だと思っていたが、すこぶる調子がいい、昨日だるかったのは寝過ぎが原因と判明!ちょっとやばい!今年の1月にインフルエンザ(風邪じゃないが)になって以来、いたって健康体である。
やっぱり俺って○○なの?

No.15
2000/11/23 【早いもので・・・】
ベイヴのHPを開設してちょうど1ヶ月が過ぎた。アクセスカウンタも400を超え、予想を上回る伸びをみせている。ホント皆様のご愛顧のお陰だと思っております。
しかし掲示板がイマイチ賑わっていないのが気になるところである。一部の人達の間では[BBS版チャット]としてのご利用(意味ないじゃん!)が見受けられる。
困った問題ではあるが、まったくカキコがないよりはマシかな?それから女性からのカキコが少ないのも華やかさに欠ける原因である。過去二人だけだ!カキコしたのは!それでも一応メールでは感想などのご意見を頂いているので、やっぱりBBSが男くさくなっているのが最大の問題だ。
まっ、それは置いといて、これからもなるべくマメに更新するのでベイヴのHPをチェックしてやって下さいまし。

No.16
2000/11/27 【腹が減っても戦は出来る!】
修行時代の俺の生活は目に余るものがあった。3DKに12人で生活をし、給料は手取りで6万円、その中から技術を習得する為の講習会費用が月3万円(3つ掛持ちで行ってた時)、休みの日はほとんど講習会という日もざらにあった。がっ、1番ひどかったのは仙台に移ってからであった。
給料は10万円位であったが、家賃、光熱費、駐車場代、ガソリン代その他を支払うと食費は残り1万円程になってしまう、つまり1食100円なのだ!酒もタバコも我慢した貧困生活、しかし時代はバブルの絶頂期であった。
俺にとって空腹は苦にならない!これは貧困時代に培った[慣れ]なのである。

No.17
2000/11/30 【最近のCM】
「掘ったイモいじんな!」
あるCMで最近使ってる。What time is it now?の事であるが、間違いである。
俺が中、高校の頃よく使っていた!「今何時?」と聞くのに、正確には
「掘ったイモいずぐんな!」である。「いじんな」ではなく「いずぐんな」だ!
あともう一つ、俺が今でもよく使っているギャグがCMでパクられた!
「コーディネートはこうでねぇど!」
確かにさむいギャグではあるが、それがいいのだ。これからこれを使うと俺がパクリだと思われてしまう。ん〜解せない!

BACK TOP NEXT